November 6, 2009

メルボルン事件とは、1992年6月、オーストラリアのメルボルン空港で日本人観光客らの所持するスーツケースから大量のヘロインが発見され、有罪判決を受けた事件。

逮捕された日本人観光客5名は一貫して犯行を否認、連邦最高裁まで争ったが、麻薬密輸の罪により懲役15年から20年の刑が確定した。

その後の1998年、本事件における刑事訴訟の過程が、国際連合により定められた「自由権規約」に違反していたとして、規約人権委員会に対し個人通報が行われた。

5名は同国ビクトリア州の刑務所で服役した後、2006年までに全員が仮釈放され日本に帰国している。

弁護団によれば、観光客らはメルボルンに向かう途中に経由したクアラルンプール(マレーシア)で、持参のスーツケースが盗まれたため、ガイドから代用品として別の新しいスーツケースが手渡された。しかし、そのスーツケースに二重底の細工がなされており、その中にヘロインが隠されていたとの事。

ガイドが観光客を運び屋に仕立て上げようとした事件であるが、ガイドを証人として出廷させられなかった、逮捕・捜査から公判にいたるまで能力のある通訳が立ち会わなかったため、発言の意図が正しく伝わらず十分な主張ができなかったなどの問題があった。
外務省・在オーストラリア大使館・領事館の対応 [編集]

この事件が発覚した当時、日本の外務省は「相手国に対して内政干渉になるので事態を見守るしかない」とし、救済措置を講じようとしなかった。また日本側は「外交問題」に発展するのを恐れて解決に対し消極的な姿勢を取り続けた。

事件後、メルボルンの警察署で身柄拘束中の5名と面会したメルボルン総領事館の職員は、「あなた方はどこの暴力団の組員ですか?」・「どこの暴力団から依頼されたのですか?」など、犯罪者と決め付けた対応を行ったと言われている。一方、メルボルン総領事館側は「そのような対応はしていない」と全面否定している。

刑が確定した後も、5名と面会した在オーストラリア大使館職員は、「日本に帰れるようにします。ただし残りの刑期は日本の刑務所で過ごしてもらうことになります」など、やはり犯罪者と決め付けた対応を行ったと言われている。

そのOS XにおけるNTFSサポートだが、Snow Leopardでは書き込みも可能となった。デフォルトでは無効化されているため、ただディスクを接続しただけではリードオンリーの状態でマウントされてしまうが、ある細工を施すとリード / ライトとも可能になる。
さらにそこから、手塚治虫生涯のテーマが二重人格とメタモルフォーゼだったのに、ブラック・ジャックはそれに反して決して変身せず、二重人格がドストエフスキー的にひとつに融合していることにも気付かなくてはならぬのです。それはもちろん、大人と子供を併せ持ちながらも決して変身せずひとつに融合している<ふしぎな逆メルモちゃん>であるピノコにも当てはまる。
 そうして初めて、ブラック・ジャックがどんどんいい人になってしまって、手塚治虫自身がキリコを出さざるを得なくなったそのジレンマもきちんと受け止めることができる。ジレンマを感じながらキリコを出さないと、それはキリコではないのです。
新たにブラック・ジャックのアニメなりドラマなりを創ろうという人は、この丹波哲郎ハイドの強烈な悪を意識しなければならんのです。キャラの見た目だけではなく、このジキルとハイドという異様なるドラマは話そのものがブラック・ジャックであって、きちんと踏まえないといけないのです。

米シカゴに住む34歳のティアン・ハリスさんは、10月31日に幸せな花嫁となる予定が、6日前になって相手の男性から突然結婚の中止を告げられてしまった。式直前でのまさかの事態だが、さらなる追い打ちをかけられてしまう。慌てて母親と一緒にパーティー会場にキャンセルを申し出ると、もう返金は不可能と言われたそう。駐車場に座り込み落ち込むハリスさんと、なす術もなく見守る母親。そのとき、向かいにあった老人ホームを目にして良いことを思いついた。

どうせ無駄にするならと、2人は向かいの老人ホームの人たちとパーティーを開こうと決断する。「寄付をしたい」とハリスさんが飛び込んだ老人ホームの施設長は、「彼女はここにいる誰も知らないだろうし、そんなオファーも受けたことない」(米紙ニューヨーク・デイリーニュースより)と驚いた。かくして、ハリスさんの結婚パーティーは、老人ホームのハロウィンパーティーへと変更。お年寄りたちも、思いもよらぬイベントを大いに喜んだという。

300人近いお年寄りは思い思いに仮装して、ダンスに興じた。あるお年寄りは「とても楽しい時間だった」(米放送局CBSより)と語り、老人ホームに素敵なひとときをもたらしたハリスさんに感謝している。施設長も「彼女はどこからともなくやってきて、私たちに美しいパーティーを与えてくれた天使」とハリスさんを讃えた。

会場の傍らでお年寄りの笑顔を見て満足したというハリスさんだが、本当なら自分が主役になるはずだったパーティーにやはり心境は複雑だったよう。母親も「会場で、皆さんの前にいるのが娘だったらよかった」と無念さを語り、施設長も「彼女は落ち込んでいたと思う」とハリスさんの心中を慮った。しかし、そうした中でもお年寄りたちに幸せな時間を与えたハリスさんの人柄に、施設長は「神は彼女を祝福し、きっとほかに良い人を見つけられる」と太鼓判を押す。

ハリスさんは11月2日に、新婚旅行となるはずだったハワイへ1人で旅立ったそう。

シニア用の読み物は大きな文字で組みます。視力の衰えへの配慮であれば、太めのゴシック体で組むのが一番読みやすいはずです。しかし、高齢者ほどゴシック体より明朝体を好むものです。理屈で考えれば、いくらウロコが付いているとはいえ、細い横画が見やすいはずもありません。しかし心理的には明朝体の方が読みやすく感じるようです。この場合、慣れや美意識が実際の機能を超えた例だと考えられます。

i.softbank.jp のメールですが、IMAP と SMTP、どちらもパスワード認証ですから平文(ないしはそれに近いもの)が流れます。DIGEST-MD5 とかのチャレンジレスポンス系の認証は、サーバ側がサポートしていない模様です。そのうえ、SSLがかかってません。

はい、携帯網だけで使うのなら問題ないですが、無線LAN、とくに公衆無線LANにつなぐ場合は、盗聴が容易に可能です。

なので、i.softbank.jp のメールアドレスは使わない方がいいかもしれません。

職場の飲み会での話。
調子に乗ってガンガン飲んでたら、見事に回ってヘベレケ状態に。
ゲロ吐きそうになってトイレに駆け込むも、間に合わず入ったところでぶちまけた。
あまりの気分の悪さに立つことすらできず、そのままうずくまっていた。
しばらくして、女の先輩がトイレにやってきた。(店のトイレは男女兼用)
俺とゲロをみて一瞬ビビったみたいだけど、すぐに気遣って助けてくれた。
ぶちまけられた大量のゲロを、躊躇いもなく、そこらにあったトイレットペーパーなんかだけで処理。
俺の服から床の上まで、全部綺麗にしてくれた。
動けない俺は呆然とされるがままだった。

後日改めて先輩にお礼をもって謝りにいった。
他人のゲロなんて近寄りたくないものナンバーワンなのに、ホントすいませんって頭下げる俺に、
「困ったときはお互いさまだから」と小さく笑って、こんな話をしてくれた。
その先輩、子供の頃体が弱くて、よく学校で体調を崩したらしい。
小学生の時、授業中に気分が悪くなって教室で机にゲロ吐いた。クラス中もう大騒ぎ。
トイレに行ってしばらく休んで口をゆすいだりした後、教室に戻ったらゲロはそのまま。
「自分で吐いたものは自分で片付けなさい」って担任に言われて、自分で片付けた。
気分が悪くて辛くて、人前で吐いたのが恥かしくて、だけど誰も助けてくれなくて、惨めで悲しくて。
あの日俺をみて、その時の自分を思い出したんだって。

子供と大人。体調不良と酔っぱらい。状況が違いすぎるよ。
しかもこの人、自分は助けてもらえなかったのに。
全俺が泣いた。

あるシンポジウムで、児童相談施設の職員の人のお話を聞いたのだが、その中に素晴らしい例があったのだ。

 ちなみにこの方は「セラピスト」ということだった。セラピストの日本語訳もいろいろあるようだが、この場合は心理療法士ということらしい。


 で、その「上手なほめ言葉」は、「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」というものだった。


 その方が言うには「よく頑張ったね」とか「上手だね」とか「素晴らしいね」というのは、表面的なほめ言葉であって、ほめられた子供には強く響かないらしい。

 親が自分の子供をほめる場合にはそれでもよいそうだが、指導にあたっている人間が使うには稚拙なほめ言葉だそうだ。


 授業実践の記録を掲載しているサイトも多いが、それを見ると「いいね、いいね」とか「おっ、それは素晴らしいね」とか「きれいだね」などを連発している授業例も多い。

 たまに言われるのなら、言われた子供も嬉しいだろうが、(セラピストの方の言葉だと)あまり連発すると逆効果になることもあるそうだ。


 昔の殿様ならば、自分の家来をほめるときに「あっぱれ、あっぱれ」ですますことができただろう。言われた家来のほうも、それで十分に満足だったろうと思う。


 身分の区別がはっきりしている場合には、いわゆる「上の人間」からちょっとほめられただけでも効果があるのだが、教師と子供の人間関係は何十年も前のような「目上の教師・目下の子供」という関係ではなくなっている。

 「教師は子供よりもずっと上の立場だから『すごいね!』というだけで十分にほめたことになる」という考え方を持っている教師がいたとしたら改めたほうがよいだろう(^^;)


 余談めいたハナシになるが、私が大学生の頃、アマチュアロックバンドをやっていて、プロのロックバンドのコンサートの前座をやることも多かった。

 コンサートが終わった後、打ち上げでプロの方と飲んだりすることもあったが、そのときに「君たちのバンドもなかなかいいね」と言われると嬉しかったものの、それだけでは社交辞令のように感じた。たまに「プロになりたいのであれば、ウチの事務所に連絡してほしい。連絡先は‥‥」と名刺をもらったりすると、本当にほめられているように感じたものだ。

 大人でも、単に「いいですね」と言われるよりも、具体的な何かがあったほうが嬉しいのだから、子供ならなおさら「自分の行為がちゃんと認められている」と自覚できるようなほめ言葉が有効であろう。


 さて、例にあげた「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」だが、このほめ方が素晴らしいのは、ほめられた人間に自己の行為を振り返らせるところにある。


 ほめるということの目的は、自分の行為を有用感を認識させ、次の活動への意欲を増大させることにある。

 ただ単に「いいね、いいね」とか「上手だね」だけでは、精神的な満足感を与えることはできるかもしれないが、ほめられた人間が自分の行為を振り返り、そのやり方を他の活動にも生かすようにするには、その人間の個人的な内部の精神活動に期待するしかない。受け取る側がちょっとひねくれた受け取り方をしてしまえば「また、そんなおべっかを言って‥‥」という感じ方をすることにもなりかねない。


 ところが「どうやったらそんなふうにできるようになったの?」と言われたら、それに答えて「こうやったらできるようになったんだよ」と言うかどうかは別にして(謙遜して『そんなことは‥‥』と言う場合もあるだろうから)、自分の心の中では、「そうか、あれをこうしたからできるようになったんだな‥‥」と振り返ってみるに違いない。


 これは完全にほめることの目的に合致する。

 他者(教師)からほめられたという満足感だけでなく、「自分はこういう努力をして、こういうことができるようになった。それが他の人にも価値ある行動だと認められた」という認識を持つことができるからである。


 このほめ方は、いろんなバリエーションで活用できるだろう。

 「今の発表のしかたはよかったね。どういう工夫をしたら、こんなにわかりやすい発表にまとめることができたの?」とか「こんなにたくさんの資料をまとめるには大変だったろうね。どういう方法で資料を集めたのかな?」等々である。


 自分がそのために努力をしたのであれば、それが認められたという感じを持たせることができるし、それほど苦労をしないで何気なくやったことだったとしても「自分が何気なくやったあのことが良かったんだな」と自覚させることができる。

 ほめられた子以外の子供にも「先生は○○さんを調子よくおだてているな」という感じを持たせないで、「そうか、そういうやり方でやるとうまくいくんだな」と考えさせることもできる。


 単に子供の気分をよくするだけでなく、自己の行為を振り返らせ、その方法を自分の得意として自覚させ、自分の存在価値を認識させ、さらに他の子にも学習活動等のヒントを与えるということで、このほめ言葉は完璧だと思う。


 ただ、このほめ言葉には問題もある。それは子供のやっていることをきちんと見ていないとほめることができないということだ。

 子供がやっていることと違うことを、うわべだけ「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」とほめても、子供は「先生、何を言っているんだろう」としか受け取らないだろう。

 「先生はきちんと自分のことを見ていてくれる」という意識を持たせることができるほめ方だけが、子供の心に響くのである。


 そういう意味で、このほめ言葉は、たまにしか使えない(^^;)

上手なほめ言葉 (via petapeta) (via kml) (via gkojax) (via takufoo) (via shigesa) (via ssbt) (via iori) (via otsune) (via oosawatechnica) (via takot) (via takaakik)
孔子様はこう言っとる。「人間というものは中庸を得たものが一番よろしい」と。まあいわゆる聖人ですわな。しかし、「現実にはそんな中庸の人間がおるものではない」と。
 それでは中庸の人の次にどういう人がいいかというと、孔子は「狂狷の徒がよろしい」と言うておる。「狂狷は進みて取る」、進取の気性です。世間を変えるには「狂」がなければならない。
 そして「狷者は為さざるところあるなり」と。たとえ一億円の金を積まれても、わしは嫌じゃということは断じてせんという、それが「狷」です。
 いまは、「金」を見せたら大抵は尻尾を振ります。それではいかんのでな。とにかく中庸を得ることは難しいが、その次には「狂狷の徒」がよろしいと、孔子は言うた。
kagurazakaundergroundresistance:

nsx:

“遷音速飛行によって、機体周囲の気温と空気圧が変わり、周辺湿度が凝縮して雲になる”
ー このような円状の雲は、Prandtl-Glauert の特異点に よる現象と呼ばれる。音速を超える直前は、強いドップラー効果が起きておりジェット機の直前に非常に高圧な層(音の壁)が生じている。音速を超えて、機体 前部の高圧層を維持する条件が突然消えるとき、高圧層は爆発的に膨張し、断熱膨張で急冷され、水蒸気が凍結して雲となると考えられている。
遷音速の飛行機に雲が発生するメカニズム | WIRED VISION
— jinon — iro

2007-12-19

kagurazakaundergroundresistance:

nsx:

“遷音速飛行によって、機体周囲の気温と空気圧が変わり、周辺湿度が凝縮して雲になる”

ー このような円状の雲は、Prandtl-Glauert の特異点に よる現象と呼ばれる。音速を超える直前は、強いドップラー効果が起きておりジェット機の直前に非常に高圧な層(音の壁)が生じている。音速を超えて、機体 前部の高圧層を維持する条件が突然消えるとき、高圧層は爆発的に膨張し、断熱膨張で急冷され、水蒸気が凍結して雲となると考えられている

遷音速の飛行機に雲が発生するメカニズム | WIRED VISION

jinoniro
2007-12-19

デジタル上映用マスターに、フィルム上映と同様にコマの微細な揺れが出るようあらかじめ画像全体を揺らす措置(パーコレーション)が施されているというのは、ジブリのデジタル製作アニメでは定番の話だが、他にもたくさんの手書きアニメの風合いを感じさせる特殊な処理がされている。

 それらはひとつひとつすべてが公開されているわけではないが、BD版の映像を見ていると、ベタ塗りに見える部分にも塗りムラのようなものが確認できる。大きな塗りむらだけでなく、細かく筆の先の跡のような(柏木氏いわく亀の甲羅のような)ノイズが見える。これらはすべて、不自然なほどクリーンに見えないよう、あらかじめ映像の中に入れられているもののようだ。

 しかも日本のアニメは圧縮の歪みが見えやすい上、特典映像をすべてHDのまま収録したため、ビットレートは平均23Mbpsと2層50GBのディスクとしてはかなり低めの設定になっている。

「アニメが楽とは思っていなかったけど、あそこまで大変とは。手書きやアナログっぽい風合いを残そうとして、様々なシカケが映像に施されているので、それをデジタル圧縮の中で歪まさずに残すのは本当に大変だった」と柏木氏。

 その柏木氏がひらめいたのが、新エンコーダの特徴を用いた日本のアニメ専用チューニングである。

 実は以前にこの連載の中でも紹介した、「GOEMON」の圧縮に使った新型エンコーダは、もちろんポニョにも使われている。その新エンコーダを用いる事で、日本アニメ専用とも言える高画質エンコードの手法を編み出した。

 詳しくは「GOEMON」のエンコード技術紹介記事を見て頂きたいが、新PHLエンコーダでは通常は“つなぎ”の意味しか持たないBピクチャが、前方参照しか行なえないPピクチャよりもキレイな映像になる。

 日本のアニメは、ほとんどの被写体が2コマにつき1回しか動かない(異なる被写体が交互に動く場合はあるが、ひとつの被写体に限れば2コマに1回)。このため、質感の揃ったピクチャが1コマおきに登場するGOP構造を新たに設計してエンコーダに入れたのだという。実際にどのようなGOP構造になっているかは秘密というが、MPEGに詳しいエンジニアなら、すぐに思いつくはずだ。

 GOP構造を日本のアニメ向きに改造したことで、動きのバタつきがなくなり、映像全体が落ち着いて安定した画質を引き出せるようになった。

 ポニョは映像の中にある情報が凄まじく多い。連続した映像の中では、ほとんど歪みを感じさせず、とても滑らかに安定した画質の映像が流れていく。この安定感こそ、アニメ向きに特別設計したという新GOP構造の成果なのだろう。

ところでBD版ポニョの冒頭(実はDVD版にも入っている)、本編が始まる直前に制作の鈴木氏、映像の奥井氏と並んで「圧縮・柏木吉一郎」と名が入れられている。「この三人がBD版の品質に責任を負う」ことをハッキリ、そして潔く示したかったのだそうだが、同時に柏木氏への感謝と品質に対する自信もあったのだろう。

 そんな鈴木氏に、今後もBD版の製作を続けるかどうか尋ねてみると「もちろん、やりますよ」と積極的な受け応えが返ってきた。「でも、それは柏木さんにお願いしたい。実際に仕事して柏木さんになら仕事を任せられる。だから、柏木さんがジブリのBDをやってくれる限りは、BD版も続けますよ」

私が、認識と活用を別個に書いたのは、
単に認識することが想像以上に難しいからだ。
例えば、あなたが特殊な分野に強い
某大学の計算機学科に入ったとする。
学生数は学年で100人としよう。
その中には群を抜いたコンピュータオタクが10人いる。
一生懸命勉強しても11番が関の山だ。
そんななかで勉強するのはつらい。
資格の勉強でもしたら回りの仲間と違って
なんとなくかっこいい。
でも実は、その資格を勉強している人は
日本に10万人もいるのだ。

資格に走ったあなたは、同年齢の中で
「世界で11番目の男(女)」
になるチャンスを逃してしまう。
もしかすると、10人のオタクはコミュニケーション能力に
欠けていて、あなたは「世界の10人」と研究の会話をできる
唯一の存在になれたかもしれない。

そんなあなたが見返りに手に入れるものは、
「簿記2級」と「TOEIC850点」だ。

62 ノイズe(ネブラスカ州) :2009/11/02(月) 07:36:02.54 ID:PHXxREP4
むしろ古書店が凄い

78 ノイズn(東京都) :2009/11/02(月) 10:03:06.95 ID:M0fPOlMr
»62
後輩の親父さんが神田で古書店やってたけど
大学の教授とかから「こんな感じの資料欲しいなぁ」って話聞いて
何年も経ってからそれらしいものが見つかると紙切れ1枚数十万~百万単位
で売れるらしいよ。
目利きで検索力がある店主は意外と高収入みたい。
骨董屋と同じだな。

ちなみにこの親父さん、子供が全員就職した途端に店を畳んで一人家を出て
いつの間にか買ってあった千代田区内のマンションで好きな本読むニートやってるらしいw